<7>

「本当に旨いコーヒーだな」

 改めてカップの中身をすすりそういった私に、マライヒの目がきゅうっと細くなる。

「おいで」

 カップをデスクに置いて、手を差し伸べる。

 嬉しそうに、彼がデスクを回ってわたしの前に立つ。

悪戯で、怜悧で、愛情深く、残酷なまでに美しい、わたしのマライヒ。複雑にカットを施されたダイヤのように、奥深くいくつもの表情を持つこの子に、やはりわたしは恋をしているらしい。うわべの、ゲームでも遊びでもない、感情をかき乱し社会的立場さえどうでも良い思える純情な恋を。

彼を膝の上に座らせ、唇を寄せる。同じコーヒーを飲んでいたはずなのに、甘い。

「ミルクと砂糖を足したのか?」

 キスの合間に問う。

「なあに?」

 少しとろけた声が可愛らしい。華奢な腕をわたしの首に絡めて、頬に鼻先をすりつける、甘えた仕草。もうすっかり、自他ともに失われたと思っていたわたしの純情をかき乱す。損得関係なく、ただひたすらに、この子が愛おしい。

「コーヒーだ。いつもカフェオレだろう、お前は」

「ううん、今日はブラック」

「珍しいな」

 互いに、顔や髪、手や首筋など、およそ着衣のままで肌に触れられる所全てにキスを贈り合いながら、会話を交わす。これだけのことで、身の内が震えてくるほどに恋情が募り、思いが昂ぶる。小さな顎を掬って、唇同士を重ねる。深く、深く。出来る限り。職場でするには深すぎるキス。しかし止められるはずはなく、デスクの上にあるキーロックボタンを探ると、同様のことを企んでいたマライヒの指に行き会う。キスをしたままクスリと笑い素早くボタンを押した指が、革手袋に包まれたわたしの手を捕まえた。

「ねえ、手袋外しても良い? こっちだけでいいから」

「ああ」

 その先にあることを思えば不埒なおねだりだが、断れない。それどころか、わたし自身素手でこの子の体温を感じたくて焦れている。キスをさらに深くしてこの子の口からあえかな声を引き出そうとしたわたしの耳を、電話の呼び出し音が打つ。無粋な、とは思うが、ここが仕事場である以上放っておく訳にはいかない。マライヒにもそれは分かっているのだろう。名残惜しげに唇を甘くかんでから、受話器を取る。片手は相変わらずわたしの首に絡み、膝の上に座ったまま。

「もしもし?」

 深いキスの余韻を残した艶やかな横顔。

 全く、何故こうもこの子が愛おしいのか。

 愛しているから、という単純明快な答えで納得してしまって良いものか。

「何だ、君か。今バンコランは忙しいんだよ。君と遊んでるヒマはない」

 細い眉がくっとつり上がり、声も尖る。嫌な予感がした。どうする? と視線で問うマライヒに、切ってしまえと身振りで伝えて、少し冷めたコーヒーを手にした。クリスマスの特別ブレンド。

 もうそんな時期なのか。今年のクリスマス、この子と過ごすクリスマスは、一体どんなものになるのだろう。考えを巡らせると、らしくもなく楽しみに思えてきた。無論、休暇を無事手に入れるためには、特別な事件が起きず、休暇前に必要な大小様々の面倒ごとを片付けておく必要はあったが。

「だー、か−、らー!!バンコランは今忙しくって君と遊んでるヒマはないんだってば!!え?どういう意味って?だからそのままの意味だよ!!彼は忙しいの!ぼくはマントヒヒじゃない!マライヒ!!おい!!どう言えばわかるのさ。え?!あ、ちょっと待って!!もう!!パタリロってば!!」

 声を荒らげたマライヒが、一方的に切られたらしい電話にため息をつき、受話器をにらみつけた。

「何だ?」

「・・・パタリロ。今からちょっとそっちへ行くから待ってろって」

 来ると言えば必ずあいつはやってくる。しかもすぐに。わたしもマライヒも、それは身にしみて分かっていた。

仕方無いね、と笑って膝から降りたマライヒに、クリスマスブレンドの入っていたカップを渡す。

「なあに? おかわり?」

「いや、隠しておけ。わたしとお前の特別なコーヒーだろう?」

 うん、と嬉しそうに頷き今日一番の鮮やかな笑みを浮かべ、マライヒは部屋の小さなキッチンへ去った。

 わたしは、おそらくもう数分もしないうちに転がり込んで来るであろう、身なりだけは小さな嵐に備えるべく、葉巻に火を付け恋情に沸き立っていた頭を冷やしにかかった。

 

<終>

 

 

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